自分探しの旅1・・・インチキオジサンの話2007/08/12 23:10

バス路線図
8/6(月)実家のある名古屋に帰った際に、1968年から6年間通った懐かしの名古屋市立西山小学校近辺をバスで走り抜けることにしました。

バスは地下鉄の星ヶ丘ターミナルから西山学区をぐるりと一周する循環バス。約20分210円のタイムトリップバスツアー。

星ヶ丘のバスターミナルに上がると、それだけでもう勝手が違った。バスターミナルは昔2ブロックに別れていたのであるが、今は1ブロックになっており、さらにバスターミナルの中にコンビニ店が開店していた。
それだけ驚くのに、さらに周りを見渡してびっくり。
星ヶ丘にあったボーリング場、スーパーは姿を消していた。

バスターミナルから東を見ると公団星ヶ丘団地の団地群が見えたはずなのだが、それもなく、ヤマダ電機の緑と黄色に彩られた趣味の悪いビルを見せている。

初めて星ヶ丘の地に来て40年余り。この地を離れて、30年余り、大きな変化は当たり前だと思っていたが、衝撃は大きい。

バスに乗り込み思う。
年寄りばかり。
夏休みの今は昔ならば母親に連れられた子供達がいっぱい乗り込んでくる時間なのに。


バスはずんずん進む。
虹ヶ丘西団地は全く姿を変貌させていた。
小さな商店の集まりであった市場、”虹ヶ丘マート”は取り壊され、病院の分室と高層賃貸住宅となっていた。

よく遊んだ公園の白いモニュメント・・・シロ公園、虹ヶ丘公園は変わらずそのままだが、モニュメントは小さく、くすんで見えた。
これも40年の時間がなせることなのか。

懐かしの西山小学校。
ここに6年間一日も休まず通学した。
築山しに観る校舎は変わらないたたずまい。
少し安心する。


西山小学校の校門を過ぎると、先は季節の野草が咲き、雑草が生い茂るがけが続くはずが・・・。コンクリー打ちっ放しの垂直の壁に変わっていました。
あそこに大きな”ボケ”の木があったのだけど、とか、秋になると萩、すすきが綺麗だったのにな・・・。と、センチになる。


学校を過ぎると中公園。
イメージしていた公園と全く違うのに驚く。
入り口の両端に1m四方の大きなコンクリートの固まりが有ったはずなのに無くなっている。
子供の頃にそのブロックに良く登って遊んだし、たこ焼き屋さんや駄菓子屋で買ったお菓子を食べるのもそこだった。
ドラえもんで言う土管広場の土管のような存在。
登ろうとして、コケテ前歯を折ったりもした。(そのためいまもした前歯は差し歯なのです)
その思い出のブロックは綺麗になくなっていた。

入り口中央おくにこんもりと木の茂った築山のようなものができている。昔はなかった。
長い時間を感じるほど大きな木。時間というのは凄いな。



この辺りで、7,8歳の頃にインチキオジサンの薬売りの口上を目撃した。

色黒の二人連れで、一人は口上専門。もう一人は被験者。
口上専門の人は口が達者で、オトナ(主婦)も何人も引き込まれて聞いていた。
こんなような内容ではなかったかと思う。
”体調わるいでしょ、つかれるでしょ、そんな時にはこれ(ここでラー油のような色の脂のような液体の入った瓶を見せる)、まむしの(ひょっとしたらハブかもしれない、とにかく蛇系だった)エキスをぎゅっと絞って、薬にしたのがこれさあ、これで、お父さんの疲れも一発で直るよ。(ここで被験者の連れを引っ張り出す)”
”身体の奥のどんな疲れも一発だ。見とくれ、(と、瓶の中の液体を筆に付け被験者の男のあごのしたに塗る。被験者の男は気持ちよさそうな顔をし、”あっ”と言う顔をする、するとかぶっていた鳥打ち帽のような帽子を脱ぐ、すると・・・)ほうらこのとおり、疲れが頭から抜けていったよ(というと、頭から湯気が立つ)”
”お嬢ちゃん、お坊ちゃん、お母さんを連れておいで、人気なのでここで売るのは今日だけだよ”

このころは今とは逆で、両親が昼間働いている子は鍵っ子と呼んでいたのだけど、鍵っ子は各クラス(40人学級時代)に一人か二人。鍵っ子は殆ど居なかったので、母親は家にいるものと思っていたな。

子供は見事に騙されて、飛んで帰って母親に話すと一笑されておわり。



その後その薬売りの姿を見ることは二度と無かったけれど、できればもう一度見てみたいな。


こんな面白い経験は今の子供達はしたことないだろうなあ。


この公園にはまだまだ思い出があります。

(さらに続く)

Three Little Words2007/08/15 03:09

昔から使ってるシグネチャというか、署名にこの短文を入れるようになって、よく考えたら、25年近くたっていた。

昔からミュージカルが大好きな、ませガキ(でも奥手・爆・後述)で中学生の頃にはイッパシに芝居小屋までミュージカルや、歌舞伎なんかを見に行っていた。(母や祖母が芝居好きで芸所名古屋で育ったことも一因かもしれない。)

松竹新喜劇の藤山寛美も大好きで多分寛美の芝居でテレビで流れたものは殆ど見ていると思う。いまでもいくつか科白は憶えているし御園座まで芝居も観に行っている。


ミュージカルで言えば森繁久弥版の”屋根の上のバイオリン弾き”は都合10回近く見ているはず。

中学時代に一人で観に行って、後年森繁さんとお話しする機会を得たときに”そうか中学生の頃から見てくれていたのか”とほめて貰った。(中学時代に観に行ったプログラムにちゃんとサインもいただいた)。森繁さんとは劇場のエレベーターで一緒になったり、何回か接近遭遇があって、不思議だと思う。



等々日々を繰り返しているときにこの、”Three Little Words”という言葉に出会った。

日本語タイトル”土曜は貴方に”(何と洒落た日本語だろう)。フレッド・アステア、レッド・スケルトン主演の映画の原題タイトルが”Three Little Words”だった。

この映画のことを初めて知ったのは多分当時”キネ旬”で連載されていた和田誠さんの”お楽しみはこれからだ!”ではなかったかと思う。その中で和田誠さんが軽妙な文章とステキなイラストでこの映画の中の科白を紹介していた。

どのような科白を紹介していたか?
今では記憶にないけれど、”Three Little Words!”の意味の紹介をされている文章が記憶に焼き付いた。
そのとき、いつか大切な時に使ってやろう。と心に決めた。

それから数年の月日が流れ、いよいよ”Three Little Words!”を書く日が訪れた。

意味はわかってもらえないだろうけれど、心をこめて届けるものにこの言葉を使いたい。いつか使っているうちに判ってくれる日が来るよね。そんな気持ち。(ストレートじゃないよね、だから奥手(爆))

手紙に書いた。
”意味をおしえて?”と聞かれたけれど、”とっても大事な言葉だよ”としか答えなかったと思う。

変なヤツ。本当に変なヤツ。

結局・・・。ショボン。良い友達ではあるけれど。


昨日パソコンのメーラーを交換しようとして、シグネチャを新しく作っているときに、やはり”Three little words!"と入れようとして、”はた”と気がいた。

”25年も昔はGooleなどという便利なものは無かったが、今はある、ググってしまえば直ぐに意味を知られてしまうのではないか。”と。

焦りました。別に焦る必要は無かったかもしれませんが。
昔からの秘め事が公になる気分(爆)

案の定ググると直ぐに出てきました。


曲のフレーズがそのまま出てきます。

"Three little words, eight little letters which simply mean "I love you""

日本語的には、
”月がとっても青いから”(この日本語の言葉はやぼったいな〜)といったような、直接ではないけれど、スマートに心を伝える言葉だったのです。


そういう意味だったのですよ〜〜〜!

笑わないでね。

ちょっとスッキリした気分です。

これからも”Three Little Words”は使い続けるでしょう。



大切で大好きな言葉だから。
大切な人と人のつながりの中で。



Three Little Words!